2012.03.24
医療経営
医業経営コンサルタント協会の継続研修に参加しました。
「社会福祉法人聖徳会110年の歩みと今後の課題」
社会福祉法人聖徳会副理事長 杉村和子
タイトルを聞いてもあまり興味を持たなかったのですが、話を聞くうちに学ぶことが多いと感じました。
事業を長く続ける上で重要なことは何か。なぜ歴史を学ぶ必要があるのか。多くの企業で課題となる事業承継に関して参考になりました。
以下概要。
聖徳会は大阪府松原市にある社会福祉法人で、1902年に大阪初・全国で4番目に認可された大阪養老院が元になっている。
創業者である岩田民次郎は年老いた老人が磨き砂を売りに来たのを見て同情し、いろいろと世話をするうちに養老事業への決意を固める。当時は老人になってもなお働かなくてはいけないのは自業自得という風潮があった。民次郎が34歳の時であった。
大阪府庁へ養老院の許可を受けようと何度も訪ねたが、「近県から老人が大阪にたくさん集まって困る」という理由で反対される。有力者の賛同によりなんとか申請を受理されることとなる。
設立趣意書は以下のようなものであった。
「老いて食なく、子や孫、身寄りもない不幸な老人たち。われわれはこの人たちの子や孫に成り代わり、親戚となって救済扶養し、悠々自適、天命をまっとうさせてあげたい」
許可はなかなかおりず、業を煮やした民次郎は許可を待たず3人の孤老を収用する。公然と看板を掲げることができないので、養老事業の意義を広く訴えた「養老新報」という新聞を創刊し、「養老新報発行所大阪養老院」という看板で、カムフラージュした。養老新報は旧皇族や内務省、裁判所、区役所、知事夫人などにも送られていた。そういった活動により賛同者を増やし、定員15名という制限付きながらようやく認可にこぎつけた。
1906年東北の大飢饉で毎日数十人が餓死し、その状態が既に3年も続いていることを知る。岩手、宮城、福島の3県から老人でも子どもでも一番困っている者の中から老人20人、子ども97人を連れて帰る。子どもは寺を借りて収容し、熱心に教育もおこなった。既に収容していた30人に加えて150人近い収容者となる。大幅な収容増により経費が増大して経営難に陥る。創設時の応援者も次第に熱が冷めて寄付が減っていたため、すべて私財で穴埋めをした。しかし、そういった困窮者の支援活動に共感した名もない市井の人々からたくさんの寄贈を受けるようになり、大阪養老院は地域の人々に支えられて存続していった。
2000年介護保険制度が施行され、従来の「措置」から「契約」へ、施設主体から利用者主体へ制度が大きく変わった。そして、「運営」から「経営」へ。
経営とは、単に収益を上げることではなく、以下の4本柱を主軸に今後の展開を模索した。
利用者の重度化が進めば、必然的にターミナルケアが必要になってくる。これまで以上に「豊かな生活、安らかな死」が施設サービスに求められる。そのためには施設の医療体制の強化が不可欠。施設は生活支援の延長にある「看取りの場」としてターミナルケアサービスを充実させるシステムを確立する。
介護保険制度施行後12年が経過。契約事業のみを行う社会福祉法人は存在意義が問われる。税制等における優遇も見直される可能性がある。社会福祉法人が独自の公共性を主張するには公益認定基準で掲げられている「慈善」に関する事業を行うことが必要ではないか。「慈善」とは費用補填のない社会福祉事業が考えられる。生活困難者に対する無料低額診療その他の無料低額事業。各都道府県社協との共同事業として行うことで事業の継続性・安定性を確保できる。
保育園も開設した。もともとは職員の託児のためだったが、地域・行政から要請があり、時代が求めるならできる限り応じる。法人は24時間365日運営しているため、保育園も休日保育や一時保育を開園から行っており、好評である。
「目の前に困っている人がいる。そのことに目をそむけることはできない」岩田民次郎
「歴史に学び、今日を考え、明日を思う」岩田克夫
経営トップは時代を読み、向かう先を考え、分かりやすく言葉にかえ、法人内外に伝え、実践する。その結果を甘んじて受ける覚悟が必要である。
経営者が考えて、自分でやるだけでは駄目。「こう考え、将来はこうなる。だから今こうする」と分かりやすく言葉にしなくてはならない。そして、有言実行。良い結果も悪い結果も受け入れる覚悟を持たなければならない。
100年を超える歴史を持つ法人も努力している。なぜ歴史を学ぶのか。創業者の創業当時の熱い思いを繰り返し説かなければ存続することはできない。聖徳会がなぜ今存在しているのか職員に知ってほしい。そうすることで共通の価値観・企業風土が形作られる。
現在聖徳会の理事長は三代目。三代目は身上を潰すと言われる。
創業者は必死に苦労して働き、二代目は創業者の苦労を間近で見ており幼い頃の環境も厳しかった。三代目になると不足のない生活を送っているので何でもできると錯覚する。これは大企業のどこの役員でも同じ。創業者の理念・歴史を常々語ることが必要。
2012.03.24